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東京高等裁判所 昭和58年(行ケ)95号 判決 1985年9月30日

原告 ベーリンガー・マンハイム・ゲゼルシヤフト・ミツト・ベシユレンクテル・ハフツング

被告 特許庁長官

主文

一  特許庁が昭和五三年審判第一二〇七六号事件について昭和五七年一二月九日にした審決を取消す。

二  訴訟費用は被告の負担とする。

事実

第一当事者双方の求めた裁判

原告は主文同旨の判決を求め、被告は「原告の請求を棄却する。訴訟費用は原告の負担とする。」との判決を求めた。

第二請求の原因

一  特許庁における手続の経緯

原告は、昭和四九年三月二八日、名称を「コレステリンの定量法」とする発明(以下、「本願発明」という。)につき、ドイツ連邦共和国において一九七三年三月二八日及び同年四月三日にした特許出願に基づく優先権を主張して、特許出願をしたが、昭和五三年三月一五日、拒絶査定謄本の送達を受けたので、同年八月七日、これに対し審判の請求をした。特許庁は右請求を昭和五三年審判第一二〇七六号事件として審理し、昭和五七年一二月九日、「本件審判請求は成り立たない。」との審決をし、その謄本は、昭和五八年二月一六日、原告に送達された(出訴期間として三か月を附加。)。

二  本願発明の要旨

結合型コレステリンを遊離させかつ引続き遊離したコレステリンを公知方法により測定することによつて、総コレステリン又は結合型コレステリンを定量するに当り、結合型コレステリンを微生物からのコレステリンエステラーゼを用いて遊離させることを特徴とする、コレステリンの定量法。

三  審決の理由の要点

1  本願発明の要旨は前項記載のとおりであるところ、本願の優先権主張日前の出願(優先権主張日一九七三年三月一日)であつて、本願の出願後である昭和五〇年一月一一日に出願公開された特願昭四九―二二四三三号(以下「先願」という。)の願書に最初に添付された明細書(以下「先願明細書」という。)には、液体試料を、コレステロールエステル加水分解酵素活性を有する化学薬品系、コレステロールオキシダーゼ活性を有する化学薬品系、及び遊離コレステロールを酵素の存在下においてコレステロールオキシダーゼ活性を有する該化学薬品系と接触させた際に生じた反応生成物の少なくとも一種を測定する手段と接触させ、そして生じた反応を観測する、工程からなることを特徴とする液体試料中の総コレステロールの測定方法の発明が記載されている。

2  そこで本願発明と先願明細書に記載された発明(以下「先願発明」という。)とを対比検討すると、前者のコレステリンと後者のコレステロールとは同一の化合物であるので、使用されるコレステリンエステラーゼが前者は微生物からのものであると限定されているのに対し、後者はそのような限定がないことで相違し、両者はその余の構成は同一のコレステリンの定量法である。

3  しかしながら、酵素の起源について、先願明細書には、コレステロールエステラーゼは種々な方法及び多くの形態で得ることができると記載されており、特に微生物を起源とするものを排除しておらず、しかも先願の出願時には微生物由来のコレステリンエステラーゼが公知であつた(例えば、特開昭四八―一一八五号公報参照)ことを考えると、具体的に例示されているものが動物臓器由来のものであつても、後者のコレステロールエステラーゼには微生物由来のものが包含されているものと解するのが相当であり、しかも本願明細書には特定の菌株を起源とするものについてならばともかく、微生物由来のものであれば常に動物臓器由来のものと比べて優れているという根拠が示されているわけではなく、本願発明の「微生物からの」という程度の広範な限定には技術上格別の意義があるとは認められない。

したがつて、本願発明と先願発明とは実質的に同一である。

4  本願の発明者と先願の発明者とは同一でなく、また、本願の出願時において、その出願人と先願の出願人とは同一ではない。

5  よつて、特許法二九条の二により本願を拒絶した拒絶査定は正当である。

四  審決を取消すべき事由

審決の理由の要点1、2及び4は認め、その余は争う。本願発明と先願発明が同一であると判断した審決は誤りであるから、取消を免れない(コレステリンとコレステロールは同一の化合物であるので、以下においては特に引用語として用いる以外はコレステリンと称する。)。

1  先願明細書の記載について

先願明細書の特許請求の範囲にはコレステリンエステラーゼとして「コレステロールエステル加水分解酵素活性を有する化学薬品系」(以下「先願のコレステリンエステラーゼ」ともいう。)と記載されているにとどまり、これに含まれる右化学薬品系の範囲は右記載自体からうかがうことはできない。かように特許請求の範囲の概念が不明確な場合には明細書の他の記載部分特に「発明の詳細な説明」を参酌して客観的、合理的に解釈することが必要である。そこで、先願明細書の発明の詳細な説明の記載から、先願発明のコレステリンエステラーゼの意義を検討する。

(一)(1) 先願明細書の特許請求の範囲には前記コレステリンエステラーゼと並んで「コレステロールオキシダーゼ活性を有する化学薬品系」(以下「先願のコレステリンオキシダーゼ」ともいう。)が記載されているが、右コレステリンオキシダーゼについて発明の詳細な説明には次のような記載がある。即ち、(a)「コレステロールオキシダーゼ活性を有する特定の化学薬品系は、コロウイツク(Colowich)及びカプラン(Kaplan)編集、Methods in Enzymology Vol. 1, 678-681頁、Academicpress(New York, 1955)に記載の方法に従つて、ミコバクテリウム・ルプルムの抽出によつて得られた酵素コレステロールオキシダーゼである。この製造は次の如く簡単に述べることができる。ミコバクテリウム・ルプルムの湿し固めた細胞を普通の方法例えば砂中で摩砕することによつて破裂させる。この摩砕した物質をリン酸塩緩衝剤の如き緩衝剤中に懸濁させ、遠心分離して不溶性物質を除去する。次にコレステロールオキシダーゼがその一部である可溶性蛋白を含む緩衝剤を例えば透析によつて処理し、妨害となる低分子量物質を除去する。」(五五六頁下右欄一〇行ないし五五七頁上左一〇行)(b)「例えばコレステロールオキシダーゼ活性は微生物のミコバクテリウム・ルプルムの抽出から得ることができ」(五五九頁上左欄一〇行ないし一二行)(c)「本発明において用いられる微生物産出のコレステロールオキシダーゼは例えば市販の製品としてイングランドのケント(Kent)州、メイドストン(Maidstons)にあるウアツトマン・バイオケミカル社(Whatman Biochemical Ltd)から入手できる。」(五六一頁上左欄三行ないし八行)と記載されている。

これによれば、(a)及び(b)には先願のコレステリンオキシダーゼが微生物であるミコバクテリウム・ルプルムの抽出から得られる酵素コレステリンオキシダーゼであること及びその製法が詳細に記載され、(c)にはその製造元が記載されている。このように先願明細書には先願発明のコレステリンオキシダーゼが微生物由来のものを含むものであることが明白に記載されている。

(2) これに対しコレステリンエステラーゼについては、先願明細書には次のように記載されている。即ち、(a)「コレステロールエステル加水分解酵素活性を有する好適の化学薬品系は酵素コレステロールエステル加水分解酵素及びその胆汁酵素補因子からなるものである。」(五五五頁上右欄一〇行ないし一三行)(b)「本方法にはコレステロールエステル加水分解酵素例えばパンクレアチンを含む物質及び溶液中の無機塩からなり得る第一の水溶液体を混合し、」(五五五頁下右欄八行ないし一一行)(c)「コレステロールエステル加水分解酵素活性を有する化学薬品系は種々な方法及び多くの形態で得ることができる。通常かかる系は天然物質例えば動物または人間の膵臓、肝臓及び腸の抽出により得られる。市販のパンクレアチンは特に有用である、しかしながらその高度の蛋白質分解活性物含量のために、以下に詳細に述べる如きかかる活性を取り除く精製に耐えなければならない。」(五五七頁上左欄二行ないし上右欄三行)と記載されている。

これによれば、コレステリンエステラーゼについては動物源(動物臓器)からのものが記載されている反面動物源以外からのものについては全く触れられておらず、動物源のものについても市販のパンクレアチンが強調されているだけである。

(3) このように、先願明細書ではコレステリンオキシダーゼについては微生物由来のものが明記されているのに対し、コレステリンエステラーゼについては動物臓器由来のものが記載され、微生物由来のものについては全く触れられていないことからみると、先願発明のコレステリンエステラーゼには微生物由来のものは含まれておらず、動物臓器由来のものに限定されているものと解釈するのが相当である。

(二) 本願発明は従来のコレステリン定量法の技術的課題とされていた定量に要する時間の短縮及び操作費用の節約の点を解決したもので、本願明細書の手続補正書には、動物臓器(膵臓)由来のコレステリンエステラーゼによる測定では三〇分を要したのに本願発明に係る微生物由来のコレステリンエステラーゼによる測定は八分以内で終了したことが記載されている。これに対し先願明細書にはかかる技術的課題解決に関する記載は全くないだけでなく、その実施例1ないし3では遊離コレステロール測定に一時間も要したことが記載されている。もし審決認定のように先願発明が微生物由来のコレステリンエステラーゼを排斥していないとすれば、その作用効果の点において本願発明との間にこのような顕著な差はないはずである。しかるに、両発明の間に右のような作用効果上の差異があるということは、先願明細書にかかる作用効果をもたらす微生物由来のコレステリンエステラーゼに関する記載が全くないことを意味するのである。元来動物臓器由来のコレステリンエステラーゼは微生物由来のそれと異なり、エステル化している脂肪酸の種類によつて加水分解機能が異なり定量機能が劣るのである(生物化学雑誌四五三頁、アメリカ生物化学協会編二二八巻一九五七年発行)。これに対し本願発明の微生物からのコレステリンエステラーゼは存在するすべてのコレステリンエステルをほぼ同じ速度で確実に定量的に分解することをはじめて可能ならしめた点で当業者が到底想到し得ないすぐれたエステラーゼということができるのである。

なお、本願発明の効果を奏するコレステリンエステラーゼを得る微生物は本願明細書七頁七行目記載のカンジダ・ルゴサ、同頁一〇行ないし一一行記載のアスペルギルス・spec(WS九〇〇三〇)及び同八頁八行ないし一一頁一六行記載の物質である。また、同四頁一六行ないし一八行には「ノカルデイア・レストリツリス(微生物の一種)中にコレステリンエステラーゼ作用が存在することは既に公知であつた。」との記載があるが、本願出願当時ノカルデイヤレストリツクス中に右作用が存在するか否か、存在するとしてもその程度については何人も確認できなかつたのであるから、本願明細書の右記載は出願者たる原告の誤解に基づくものである。

(三) このように先願明細書に微生物由来のコレステリンエステラーゼが開示されているか否かは明細書の記載自体から判断すべきである。審決及び被告が指摘する明細書中の前記のような「種々な方法及び多くの形態で得ることができる」との記載を微生物からのコレステリンエステラーゼを含むと解することは到底できないし、また、前記のような「通常かかる系(コレステロールエステル加水分解酵素活性を有する化学薬品系)は天然物質例えば動物または人間の膵臓肝臓及び腸の抽出により得られる」との記載からも先願発明が微生物からのコレステリンエステラーゼを包含するのか、これを排斥するのかいずれであるかを知ることは不可能である。審決は「先願明細書が特に微生物起源のものを排斥しておらず」と判断しているが、先願明細書が微生物由来のものを意識して排斥する記載がなくても、その記載が前記のように動物臓器由来のものに限定されているときは、微生物由来のものを包含するものと解するのは相当ではない。また、先願明細書中にコレステリンエステラーゼはその酵素源が天然に存在する物質であればどのようなものでもよいと定義されているが、「天然に存在する物質」という巨大な上位概念を想定すれば、植物(微生物を含む)、動物も包含されることになる。しかし、先願明細書にコレステリンエステラーゼがなんらかの創作によつて裏付けられた発明として記載されることが必要であり、この見地に立てば、先願明細書のコレステリンエステラーゼは単に動物臓器由来のものによつてのみ裏付けされているにすぎないから、同明細書に微生物由来のものが記載されていると認めるのは困難である。なお、先願明細書の記載の認定に当つて当時の公知事実を参酌すべきでないことについては後に述べる。

2  特開昭四八―一一八五号公報について

(一) 審決が引用する特開昭四八―一一八五号公報による明細書(以下「鐘紡出願明細書」という。)には、微生物由来のコレステリンエステラーゼの記載はあるとしても、それが結合型コレステリンを定量法に使用できる旨の記載は皆無である。ある事実が公知であるといつてもいかなる技術的事項について公知であつたかが重要であり、対象技術を定めることなく単に公知であるといつても無意味であり、そのことを理由として出願を拒絶することはできない。その意味で鐘紡出願明細書により微生物由来のコレステリンエステラーゼを定量法に使用する技術が公知になつたものということはできない。

(二) 仮に先願出願時にコレステリンエステラーゼの定量法に関する技術が公知であつたとしても、特許法二九条の二第一項により先後願の関係にある発明の同一性を判断するに当たり、先願に最初に添付された明細書に記載のない事項は、それが公知事実であつたとしてもこれを斟酌すべきではない。既に述べたように先願発明が動物臓器由来のコレステリンエステラーゼのみを使用するもので、微生物由来のものを含まないものであるから、先願明細書に記載のない微生物由来のコレステリンエステラーゼを、公知事実としてであつても、考慮に入れて先願明細書を解釈することは先願発明の範囲を不当に拡大することになる。この意味からも鐘紡出願明細書を引用して本願を拒絶することは許されない。

3  先願は、その出願前の出願であつて本願発明の発明者と同一の発明者による特願昭四八―五五一五七号の発明(以下「先々願発明」という。)と実質的に同一であるとの理由で、特許法二九条の二により拒絶された。他方、審決によれば先願発明と本願発明は実質的に同一であるというのであるから、先願発明の本質的部分は先々願発明の本質的部分とも、また、本願発明の本質的部分とも同一性を有することになる。このような場合本願発明を先願発明により拒絶することは、本願発明を先願発明と実質的に同一である先々願発明により拒絶することと同じである。しかして、前記のように本願発明と先々願発明の発明者は同一であるから、結局本願発明は同一の発明者による先々願発明により拒絶されたことになり、右拒絶は特許法二九条の二第一項但書に違反するというべきである。

第三請求の原因の認否及び被告の主張

一  請求の原因一ないし三は認め、同四は争う。

二  被告の主張

1  先願明細書の記載について

(一) 先願明細書の特許請求の範囲には使用するコレステリンエステラーゼについて「コレステロールエステル加水分解酵素活性を有する化学薬品系」と記載されていてその起源について限定がないのであるから、発明の詳細な説明に記載されている動物臓器由来の例をもつて右のコレステリンエステラーゼが動物由来のものに限定されているということはできない。先願明細書の発明の詳細な説明には「本明細書に用いた如きコレステロールエステル加水分解酵素活性は加水分解によつてコレステロールエステルを遊離コレステロールにする触媒現象である。この触媒現象は次の式によつて表すことができる。

コレステロールエステル

コレステロールエステル加水分解酵素活性

―――――――――――――――――――→

遊離コレステロール+脂肪酸」

と記載され(五五六頁下左欄六行ないし下から一行)、これによれば、「コレステロールエステル加水分解酵素活性」とはコレステリンエステルを遊離のコレステリンに酵素的にケン化することであると定義されており、また、「本発明において『“ある”酵素活性を有する化学薬品系』とは上記の酵素活性を果たす単一または組合わせた全ての化学的化合物を意味する。組成物が天然に存在する物質の抽出により調整され、この抽出液が所望の活性を示すために、別個の分子または酵素が所望の活性を含むかは知られていない。」と記載され(五五九頁上左欄四行ないし一〇行)、これによれば、「化学薬品系」とはコレステリンエステルを酵素的に加水分解する活性を有する天然に存在する物質からのものであればどのようなものでもよいと定義されている。これらの定義からみても酵素源が天然物としての微生物とか動物臓器とか特定のものに限定されるものでないことがわかる。

前記のような先願明細書の特許請求の範囲の記載、審決で引用した「コレステロールエステラーゼは種々な方法及び多くの形態で得ることができる」との記載、右のような定義その他先願明細書の全記載を総合してコレステリンエステラーゼの起源についてみると、コレステリンエステルを遊離コレステリンにケン化する反応を化学的に行う(五五四頁下左欄一二行ないし上右欄一一行)のではなく、酵素的に行うことができるものであれば、その起源には制限がないと解される。したがつて、先願明細書において「コレステロールオキシダーゼ活性を有する化学薬品系」については天然物として具体的に示されているものが微生物であり、「コレステロール加水分解酵素活性を有する化学薬品系」についてはそれが動物臓器であるとしても、それらはいずれも例示であり、それぞれの起源が右に示されたものに限定されていることにはならないのである。

(二) 本願明細書によるも微生物からのコレステリンエステラーゼすべてが顕著な効果を示すものと認めることはできず、たとえそのうちの二、三の例に顕著な効果がみられたとしても、そのことから直ちに微生物を限定しない本願発明に顕著な効果があるものということはできない(なお、本願明細書中原告が引用するノカルデイア・レストリツクスに関する部分が原告主張のとおり原告の誤解に基づき記載されたものであることは争わない。)。

2  鐘紡出願明細書について

先願明細書に記載されている技術的事項を先願出願時の技術水準を示す公知事実を参考にして解釈することが直ちに先願明細書を不当に拡大解釈することにはならない。先願明細書の特許請求の範囲には使用するコレステリンエステラーゼについてその起源がなんら限定のない発明が記載されていて、発明の詳細な説明にはそのコレステリンエステラーゼは「種々な方法及び多くの形態で得ることができる」と記載されている。右記載は出願時公知の種々な方法(原料と手段)で得たコレステリンエステラーゼを用いることを意味するのであるから、右記載を解釈するに当たり、先願の出願時に公知であつた技術を参考にすることは極めて自然なことであるというべきである。そして、審決が引用した鐘紡出願明細書には、微生物由来のコレステリンエステラーゼが公知のものとして記載されているのであるから、先願明細書の記載を解釈するに当つて右の公知事実を参酌することは許されるべきである。

3  原告主張の先々願発明と本願発明の発明者が同一であるとしても、そのことによつて、先願発明の発明者或いは出願人が変更されるものではなく、本願と先願の発明者或いは出願人が同一でないという事実は否定することができない。したがつて、先々願発明の存在は、本件審決を取消すべき事由とはなり得ない。

第四証拠関係<省略>

理由

一  請求の原因一ないし三は当事者間に争いがない。

二  先願発明の内容及び本願発明と先願発明の相違点が審決摘示のとおりであることは当事者間に争いがなく、この事実と成立に争いのない甲第二号証の二(本願の出願当初の明細書)、第三号証(同手続補正書)、第四号証(先願明細書)によれば、両発明とも、(1)コレステリンエステラーゼを触媒として使用し結合型コレステリン(コレステリンエステル)を分解して遊離コレステリンを得たうえ(以下この作用を「エステラーゼ使用」という。)、(2)コレステリンオキシダーゼを触媒として使用し遊離コレステリンの量を測定する(以下この作用を「オキシダーゼ作用」という。)酵素的方法による定量方法である点で一致し(本願発明の要旨中の「公知方法により測定する」とは右(2)の作用を指す。)、(1)のエステラーゼ作用において、本願発明ではコレステリンエステラーゼが微生物由来と限定されているのに対し、先願発明ではコレステロールエステル加水分解酵素活性を有する化学薬品系として示されているコレステリンエステラーゼにつき、右のような限定が付されていない点で相違することが認められる。

三  そこで、先願明細書に記載されたコレステリンエステラーゼ、即ちコレステロールエステル加水分解酵素活性を有する化学薬品系に本願発明に係る微生物由来のコレステリンエステラーゼが含まれるものと解すべきか否かについて、以下に検討する。

1  前掲甲第四号証によれば、先願明細書にはコレステリンエステラーゼ及びコレステリンオキシダーゼの各起源について原告が指摘する記載のほか、コレステリンエステラーゼに関し、「実質的に蛋白質分解活性をもたぬコレステロールエステル加水分解酵素を含む抽出液を調製する方法が本発明により明らかであり、本方法にはコレステロールエステル加水分解酵素例えばパンクレアチンを含む物質及び溶液中の無機塩からなり得る第一の水性液体を混合し……」(五五五頁下右欄六行ないし一一行)、「市販のパンクレアチンXMF……三〇分間攪拌した。」(実施例4の項の五六三頁上右欄二行ないし同下左欄三行)の各記載があることが認められる。

ところで、コレステリンエステラーゼとコレステリンオキシダーゼとはその営む作用が前者はエステラーゼ作用、後者はオキシダーゼ作用という差があるとはいえ、ともに酵素作用を有する化学薬品系であることに変りはない。しかるに、前記のように先願明細書には後者については微生物由来のものが具体的に詳細に記載されているのに対し、前者については動物臓器由来のもの、それも具体的には市販のパンクレアチンのみが記載されているにとどまり、前掲甲第四号証によるも、微生物由来のものはもとより、パンクレアチン以外の動物臓器由来のものについてすら、その使用に関する記載を先願明細書中に見出すことはできない。

2  なるほど先願明細書には審決及び被告が指摘する前記のような(1)「コレステロールエステラーゼは種々な方法及び多くの形態で得ることができる。」(2)「通常かかる系は天然物質例えば動物または人間の膵臓、肝臓及び腸の抽出により得られる。」との記載がある。

しかし、(1)の記載は余りにも抽象的であり、これに当時の公知技術により得られるコレステリンエステラーゼすべてが含まれると解することは、抽象的に記載された事項について極めて広範囲にわたり先願の地位を認めることとなるから相当とは認めがたく、また、(2)の記載中「天然物質」といえば概念的には動物、植物(微生物もこれに含まれる)、鉱物のように人工による物質以外のものすべてが含まれることになるが、それを理由にコレステリンエステラーゼを抽出し得るすべての天然物質が含まれていることが記載されていると解することは、前記(1)同様抽象的記載を根拠に広範に先願の地位を認めることとなり相当とは認めがたい。かかる場合明細書の記載全体を総合的に観察したうえで先願明細書はいかなる物質から得られたコレステリンエステラーゼに関する発明を記載したのかを先ずその明細書自体から判断すべきである。

3  そして、前記1認定の各記載を中心に先願明細書を全体として観察すれば、同明細書には微生物由来のコレステリンエステラーゼの記載はないので、先願発明のコレステリンエステラーゼ(コレステロールエステル加水分解酵素活性を有する化学薬品系)とはいかに広く解釈しても動物臓器由来のものを指すにとどまるものと認めるのが相当である。

4  被告は、前掲甲第四号証によつて認められるその主張に係る先願明細書五五六頁下左欄六行ないし下から一行、五五九頁上左欄四行ないし一〇行の各記載をも根拠として、先願発明のコレステリンエステラーゼには微生物由来のものも含まれる旨主張するが、前記の記載はコレステリンエステルのコレステリンエステラーゼの触媒現象による加水分解の反応式を示したものにとどまるし、後者の記載は「ある酵素活性を有する化学薬品系」を抽象的に説明したにすぎず、かかる記載を参酌しても、先願明細書中に微生物由来のコレステリンエステラーゼに関する記載があるものと認めることは困難というほかない。

四  審決は前記三、2のうち(1)の先願明細書の解釈に当り出願前の公知技術を参酌できるとの前提で鐘紡出願明細書の記載を引用する。

なるほど成立に争いのない甲第五号証(鐘紡出願明細書、昭和四八年一月九日公開)によれば、右明細書には微生物由来のコレステリンエステラーゼに関する記載があることが認められる。そして、明細書の記載を解釈するに当たり、その出願前(優先権主張のある場合は優先権主張日前)の公知技術或は公知事実を参酌することは許されないわけではないが、それはあくまで当該明細書自体から知ることができる具体的内容に関連する場合に限られるものと解すべきであつて、前記三、2に引用したような極めて抽象的記載についてまでかかる解釈方法を持込むことは、いたずらに明細書の記載内容を技術的に広く認めることとなり、後願者に対する関係で不当に有利に扱うこととなり相当とは認めがたい。したがつて、鐘紡出願明細書の右記載は、本願発明につき特許法二九条二項の進歩性を判断する場合は格別、同法二九条の二第一項により先願発明との同一性を判断するに当つては参酌すべきものではない。

五  審決は、本願発明には微生物由来のコレステリンエステラーゼであれば動物臓器由来のそれに比し常にすぐれているという根拠が示されていないから、本願発明の「微生物からの」という広範な限定には技術的意義がないものと判断する。

なるほど、前掲甲第二号証の二、第三号証によれば、本願明細書には原告主張の微生物が短時間で定量することができるとの顕著な効果を有するコレステリンエステラーゼを得ることができるものとして記載されているものの、これら微生物のうち実施例により具体的に短時間で定量することができるとの効果が確認されているものはカンジタ・ルゴサのみにすぎないことが認められる。すなわち、前掲甲第二号証の二によれば、本願発明の実施例1では従来技術であるアルコール性水酸化カリウム溶液を用いた場合に三〇分間を要したのに対し、カンジタ・ルゴサを用いた場合には三分間を要したにすぎない旨の記載があることが認められるが、右は動物臓器に由来しない化学薬品とカンジタ・ルゴサとの対比にとどまるし、他の微生物については前記のような効果が確認される実施例の記載があることを認めるに足りる証拠はない。もつとも、前掲甲第三号証によれば、本願発明の実施例6として、膵臓からのコレステリンエステラーゼを用いた場合には三〇分を要したのに、等量の微生物からのコレステリンエステラーゼを用いた場合には八分以内で測定を終了した旨の記載があることが認められ、右は動物臓器由来のものと微生物由来のものを対比したものではあるが、微生物が何であるかが右記載自体からは不明である。

そして、どの微生物からでもコレステリンエステラーゼを得ることができるものでないことは明らかなところであり、また、原告主張の微生物のすべてから原告主張の効果があるコレステリンエステラーゼが得られるものか否かも本願明細書からは明らかであるということはできない。したがつて、本願発明の「微生物からの」の記載を無限定に解した場合はもとより、これを原告主張の微生物に限定したとしても、そのすべての微生物について産業上利用できるものとして発明が完成しているか否か疑わしいといわざるを得ない。

しかし、前記各実施例の記載によれば、原告主張の微生物中動物臓器由来のものに比し顕著な効果を有するコレステリンエステラーゼを得ることができるものも存在することが推認されるから、本願発明中に未完成発明が含まれているとすれば、それは特許法二九条一項柱書又は同三六条四項、同条五項の問題として別途処理すべきであつて本願発明の「微生物からの」という限定の技術的意義を否定した前記審決の判断は誤りであるといわなければならない。

六  以上述べたところによれば、本願発明が先願発明と実質的に同一であるとの審決の判断は誤りであり、右の誤りがその結論に影響を及ぼすことは明らかであるから、審決は違法として取消を免れない。

よつて、原告のその他の主張について判断するまでもなく本訴請求を正当として認容し、訴訟費用の負担につき行政事件訴訟法七条、民事訴訟法八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 瀧川叡一 松野嘉貞 清野寛甫)

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